■05/「呼吸法と美と若さとのつながり」の巻
えーと、前ページでは、なんだかいろいろとりゅう仙人自身のことを書
いてしまいましたが、りゅう仙人がこれからこのホームページで書いて
ゆこうとしている内呼吸とはこんな感じの「空間感覚」がのテーマとな
っております。
なにしろ<空間>というものがすべてをつないでおりますからね。空間感
覚がわかるようになると、いろいろな自由な感覚がひろがるというもの
です。
あのときりゅう仙人は、まわりの空気がとっても密度の濃い粒子で出来
た空間として感じました。サラッとした、淡々とした空間ではなく、い
ろいろなものとつながってしまうような、普通の空気を<水>として見た
としたら、りゅう仙人の感じた空気はまるで<オリーブオイル>のような
感じの濃密度の空間体験なのでした。
りゅう仙人が呼吸を身体の中に入れると、その感覚はまるで身体の中で
オリーブオイルが流れるように感じます。空気を普通に吸ってもそんな
ことはないはずなのですが、それは空気の中に含まれる微細なエネルギ
ー粒子を採り入れているからこんな感覚になるのだろうと思います。
空気を吸い入れる時、きっと空気の中から微細なエネルギー粒子だけを
ろ過して、裏ごしして、採り入れているのです。こうやって採り入れた
微細な粒子は、トロトロっとオリーブオイルが流れるように、身体の内
の奥にまで、流れてゆく感じなのです。その濃厚な粒子は、身体の中の
行きたいところに自由にコントロールして流してゆくことが出来ます。
それはなんだかまるで「油圧」で動く機械のようです。両腕や両脚・背
中やおなかの方にその油圧をかけると、身体の中でトロトロ~っとオイ
ルで満たされてゆくのです。とっても眼の前のただの空気を吸ったとは
思えない、不思議なトロトロ感なのです。
呼吸法というと、ヨーガでも気功でも武道でも、スポーツでもエアロビ
クスでも使うものですが、りゅう仙人の言う呼吸法とはずいぶんと違う
もののようです。普通は鼻や口やの、酸素を採り入れる呼吸をおこなっ
ているようですが、りゅう仙人のおこなうものは、かなり押し殺した感
じの、やっているのかやっていないのか、見ていてもよくわからない呼
吸です。
普通、呼吸法というと肉体の中に酸素を採り入れて健康になるとか、筋
肉の曲げ伸ばしのときに呼吸を合わせて動かすとか、体内で酸素を燃や
すとか、身体全体からみると、<呼吸>というのはあくまで補助であって
主体ではないものだと思います。
だいいち空気というものは、こんなに粘りがあるものであるとは理解さ
れません。これはまるで、オリーブを搾ってオリーブオイルを抽出して
いるような感じで、眼の前の空気から粒子だけを抽出しているかのよう
です。なんだかこうやって書いてゆけばゆくほど、不思議不思議であり
ます。この感覚を、<内呼吸>というものなのです。
りゅう仙人がおこなっているこういう呼吸法は、世界中を探してゆくと
どのトレーニング流派に属するかと考えますと、やはり「中国仙道」で
はないかと思います。
自分の名前も<りゅう仙人>と名乗っているくらいですから、中国仙道が
ぴったし感覚が合うなと思っております。
この中国仙道ですが、ここのテーマは、ズバリ不老不死・若返り・仙人
仙女になって自由に生きる、というような、いかにも楽しそうな世界で
あるのです。
中国仙道では、年齢とともに失ってゆく体内の<気>を空気の中から引き
出して体内に取り込む教えを説いているものです。そのために<静座>と
いうものをするのですが、それこそ何年も何年も静座をしてゆくと、や
がて下腹の丹田に<気>を感じてきて、その<気>を身体の中のルートに沿
って巡らせてゆくという、まるで魔法修行みたいな世界ですね。
といっても、りゅう仙人もこの世界に入って正式に修行したわけではあ
りませんのであまり知ったかぶりは言えませんが、なんだかこういう感
覚のものってとても好きなのです。
たしかに、空気中にある微細なエネルギー粒子を身体の中に取り込んで
ゆけば、若返り効果や仙人仙女になって自由に生きる、というのが実感
できるのであります。
文献によりますと、「長い間静座を続けてゆくと、吸い込んだ呼吸が密
度の濃い粘液のように感じてくる」とか「口の中に頭頂より蜂蜜のよう
に粘りのある空気が降りてくる」と書いてあります。さらに、「それを
下腹の丹田に飲み降ろすと、身体の中に<気>として蓄えられるようにな
る」とも書いてあります。
りゅう仙人の呼吸法は、<呼吸法>と言っても、空気を食べるようにおこ
なう呼吸法です。これはきっと、中国仙道にあらわれてくる仙人仙女た
ちがおこなう「カスミを食べる」というのに似ているのだと思います。
このカスミには栄養もありエネルギーもあります。食事や睡眠やさサプ
リや薬からは取れない、不思議な栄養みたいなものがあります。
このカスミを食べ続けてゆくことで、ホントに仙人仙女のようになれる
のではないかと、ホントに思ったりいたします。しかも、りゅう仙人は
アタマのてっぺんにある<泥丸(にーわん)>というところからも呼吸を入
れるような感覚も起きております。
<泥丸(にーわん)>とは、まだ小さい、1歳から1歳半くらいまでならあ
る、あたまのてっぺんの骨が完全に閉まっていなくてペコペコしたやわ
らかい部分が残されておりますが、あの部分を<泥丸(にーわん)>という
のです。ツボの名前でいうと<百会(ヒャクエ)>ともいうところです。
仙人仙女たちは、この<泥丸(にーわん)>から天の気を採り入れると言っ
ています。たしかにここから入る呼吸は、鼻や口から入る呼吸とはぜん
ぜん違う質の呼吸であります。不思議・不思議ですよね・・・。
りゅう仙人はは、眼の前の空気を<吸う>というよりも<食べる>という表
現の方がピッタリであると書きましたが、口の中と<泥丸(にーわん)>と
は内部でつながっております。意識を<泥丸(にーわん)>に置いて呼吸を
いたしますと、<泥丸(にーわん)>から入って来た呼吸は口の中に通じて
くる感じがいたします。
口の中に入って来た空気の粒子は、口からおなかの中へ、おなかの中か
ら身体の各部へと、運ばれてゆくのです。そうやって、空気の中の<気>
は、全身へと巡り、満たされてゆくのです。
何十年も歳を重ねていって、一番悲しいのは、自分の身体から<美>が衰
えてゆくことではないでしょうか?健康が衰えてゆくことよりも、どう
しても<美>というものが衰えてゆくことが、りゅう仙人は一番イヤであ
ります。
<美>が衰える、ということは身体もブヨブヨしてくる、顔もオジサンオ
バサンになってくる、筋肉の付き方もなんだかカッコ悪い、姿勢だって
悪くなって来るし、第一そんなになってしまうと、もう素敵な出会いも
恋もなくなってしまい、周りからも突き放され・・・、ということにな
ってしまいます。
あとはもう、自分と似たような人ばかりで集まって、たいして面白くも
ない連中の話しを聞かされる毎日で一生がオシマイ、ということにまで
なりかねません。しかも、<美>が衰えることで仕事も衰え、収入までも
衰え、社会的存在力も衰え、愛も衰え・・・。
<美>が衰える、というのはこんなにイヤなものなのです。しかし、人間
は生まれて来たからには必ず<死>というものに向って行かなければなら
ず、その過程として老化現象が付きまとい、<美の衰え>がついてまわり
ます。
そこにゆくと中国仙道は、若返りやら仙人仙女になって、とやらの話し
が出てまいります。しかもその修行法ときたら、呼吸法と瞑想と意識の
使い方というのがメインとなっているみたいです。
なんだか快楽的に生きてゆきましょう、という感じがするのでした。
中国仙道も、宇宙に充満する<気>を自分の内に採り入れるという教えな
んながあり、夢も希望もありそうです。なんだか<救い>すら感じてしま
います。
事実、呼吸法がうまくなってきて、眼の前の空気さんとひとつになって
まいりますと、なぜかいろいろな不安要因や迷い要因が減ってくるとい
うのは確かであります。呼吸法の精神的効果というものですね。このこ
とについては、また後ほど書いてゆきますね。
こうやって、直観的にですが、りゅう仙人はこの中国仙道を一時はとて
も関心を持って、自分なりに研究したり本をいくつか読んでみたり、瞑
想やら呼吸法やらを試していたころもあったのです。
といっても、りゅう仙人は17歳のころのあの空間体験がやっぱり一番強
い神秘体験ですので、あの体験をもっとうまく使いながら、この中国仙
道の面白いところを採り入れて自分の呼吸法の世界を作ってゆこうとや
ってきたのであります。
りゅう仙人は、どうしても集団生活になじめず、学生生活にしてもあま
り楽しくなかったですし、就職という経験もほとんど無く、正直言うと
「社会」というものをよく知りません。目上の言うことには常に反発を
感じていたコマッタチャンでありますから、考えてみればかなり若い頃
から事実上「仙人」であったのかも知れません。
そういうりゅう仙人個人の感性から、このような呼吸法が必要であった
というのはあったと思います。そのようなエネルギーを得ないと、りゅ
う仙人はアンバランスになって世の中から干されてしまいますし、一般
社会の中で生きてゆく気持ちの無い人は、やはり<能力>を持つしか無い
のでありますからね。
中国仙道の文献に書いてあるとおりに静座と呼吸法をやってゆきますと
ホントに目の前の空気中には<気>があって、それを体内に吸収してオナ
カの丹田に集め、それを身体中に巡らせるということが出来るようにな
るものなのでした。(何と云う本だかはすっかり忘れてしまいました)
身体の中には<気>が巡るための線路があって、まるでそこに電車を走ら
せるように身体の中のあちこちに巡らせることで、身体の中にエネルギ
ーが蓄えられてくるのであります。ただ、書いてあることを読みますと
男性の場合は性エネルギーを漏らしていけまへん、と書いてあります。
女性はだいじょーぶだと思いますが、まずここで普通の男性は落ちるか
もしれませんね。
何十年も生きてきて、日々失ってきてしまった生命エネルギーの粒子を
こういう方法で再び取り戻してゆくばかりでなく、むしろ若い頃には持
ち合わせていなかったようなエネルギーが出来上がってゆくようなこと
が出来てきたのです。
こういうエネルギーメソッドを長い時間をかけて身体の内側を養ってゆ
くことをおこなえば、現在大切に思って続けているいる仕事をあと何年
も現役で出来るようになるでしょうし、身体の美しさやアタマの回転や
魅力や能力だって、きっと、まだまだ長持ちしてゆくのではないか?と
ホントに思えるのです。
世の中では、ナニヤカニヤ言ってもやっぱり「身体のエネルギー」だと
思います。自分の身体にエネルギーがあれば、もっともっと夢と希望が
起きるのだと思います。身体にエネルギーが無いと、オヤジ・オバサン
呼ばわりされてオシマイとなり、中身はその後から必要となるのです。
「ヒトは見た目よ!」と、りゅう仙人があまり尊敬していない母親が言
うセリフにも一理はあります。一理どころか百理千理かも知れません。
事実、自分の<美>の衰えで批判されることが、アタマの悪さや能力の悪
さを批判されるよりも一番コタえるのではないでしょうか?
アメリカでは、1本20万円もする若返りホルモンの注射があって、もち
ろん1回だけ打てば良いということではなく、生きているうちはずっと
打ち続けなくてはならないのですが、呼吸法をやることによって自分の
内側から若返り系ホルモンが出るようになれば、もしかして副作用でも
あるかもしれないホルモン注射に頼らなくてもきっと素晴らしい効果が
出るのではないかと思います。
呼吸には、ホントにまだまだ未知なる可能性がありそうですよ。もりろ
んりゅう仙人自身もその答えを出しきったわけでもないので、まだまだ
今後、この<呼吸法>に期待しているのです。
それに、<美>というものは、身体の見た目から発するものよりももう少
し違うものを<美>と感じてゆくものとして人々は思っているのではない
でしょうか?それは、形の美だけではなく、見えざる波動の美です。
よく、「オーラを感じる」ということを聞きますが、このオーラ自体は
形のある身体の見た目、では無いと思います。
りゅう仙人が通っていた美術学校の校長先生(男性)だって、その時は
すでに55歳であり、普通に考えたらとっても<美>を感じさせる御歳では
ないはずでしたが、校長先生はとても光っておりました。
多くの人々が感じる<美>というのは、この<オーラ>のことだと思うので
す。単に身体が若いだけで魅力があるわけではないと思いますし、確か
に「性的」なことだけでしたら、もしかして「年齢が若い」方が勝って
いるかも知れませんが、でも、多くの女性たちはそのように見られるこ
と自体がイヤであるかと思います。
オーラとは、身体の内から発する見えざる生命エネルギーのことを言い
ますが、いくら年齢だけが若くても、このオーラが老けてしまいますと
魅力が半減してしまい、これもまた仕事からも愛からも、ハズされてし
まう可能性は出てくるかと思います。
このように、良い呼吸・美しい呼吸がうまいこと出来るようになります
と、これはきっと「呼吸法だけがうまくなる」だけではなくて、なんだ
か他のことまでウマイコト行くような感じがしてならないのです。
それは、呼吸をコントロール出来るようになることは、いろいろなこと
をコントロール出来ることとつながっているような気がするのです。
たとえば、心の中で「コンナコトにならないかな~~」と思っていると
実際にそのようになったり、ヒトに自分の思いが伝わりやすくなったり
チカラが通じたり、という現象が起きてくるのです。
それは、潜在意識・潜在能力というものが働くからなのです。
自分の身体の中に呼吸を自由に送るメソッドを行うときは、意識の中で
「呼吸のエネルギーを肝臓にゆくように」とか「エネルギーを脳の中に
まで届かせるる」などと思いながらおこなうのですが、それは結果とし
て「思ったことがそうなる」ということになるわけです。
「手にエネルギーが行くように」と思うのも、「この人にエネルギーが
伝わるように」と思うのも、「思う・成る」の関係で言えば、イコール
なのです。事実、手のひらにエネルギーが行きますように、と思いなが
ら呼吸法をおこなえば手のひらにゆくようになります。それは「思う・
成る」が叶えられるというのと同じ原理なのです。
すべての成功とは、「思う・成る」の流れがスムーズに行くことを指し
て言いますから、呼吸法で自分の身体の中の好きなところどこへでもエ
ネルギーを送ることが出来るようになれば、その「思う・成る」が外界
の現象界にまでそれが働くのです。
これを<潜在能力>といいます。「思う・成る」のつながりが強い人ほど
潜在能力がある、ということなのです。
自分の呼吸をコントロールすることが出来れば、他のことまでコントロ
ール出来る能力が出てくるというのが面白いですよね。
ですから、これをお読みになっているあなたが、何か身体を使って仕事
をする方であってもそうでなくても、何か自分の「こうなりたい思い」
が強くある人は、必ずこの呼吸法をしてゆくことであなたの才能や能力
がアップしてゆくことはお約束出来るのです。
呼吸はあなたを裏切らないですし、目の前の空気さんはいつでもあなた
の目の前にいてくれます。なんだか使い放題・使途自由のエネルギーを
手にしたようかも知れませんね。
このように、目の前の空気の使い方を「知る人」と「知らない人」とで
は、生きている面白さもホントに違ってくるでしょうね。
<吸う>よりも<食べる>ことが出来る目の前の空気の中には栄養素充分の
<カスミ>が含まれていて、これさえこの先ずっと食べ続けてゆけば、な
んだかず~~っと若く元気でいれそうな、そんな可能性や夢や希望をこ
の呼吸法には感じるのです。